平成27年のねじばな便り(思想編) 有峰森林文化村新聞まとめ

有峰森林文化村新聞http://www.arimine.net/annai/newpaper.htmは、有峰森林文化村が発行しているニュースペーパーですが、改行も読みにくいし、索引も分かりづらかったり、続けて読みにくいという欠点があるので、少し纏めてみています。

今回は、元祖編集長中川さんの雑記録を取り出してみました。平成27年のものの中でも今回は政治的なことなどの中川さんの思想が溢れ出てくる文章をまとめてみます。


左翼っぽい言葉も様々出てきますが、書いてることは良いこと書いてますよね。

〜有峰の教養主義〜

 題名に飛びついて本を買った。内田樹編の「日本の反知性主義」である。5年前であろうか、愚かな回答をするタレントの「おバカさん」具合を笑いにする、島田紳助の番組があった。反知性主義とはそんなことかと思っていた。ちがっていた。
 本では、9人が文章を書いており、反知性主義の説明をいろいろ行っている。「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度、自分の都合のよい物語の中に閉じこもる(そこで開き直る)姿勢」を「反知性の態度」という。この説明が、一番わかりやすかった。その説明を使えば、どうしてあんな戦争をしてしまったのだろうと考えることを、「自虐史観だ」と切り捨てる人。そんな人たちが、反知性主義者に属することになる。
 それぞれの文章は面白い。とりわけ、想田和弘の文章が心に刺さった。彼は、テレビのドキュメンタリーは、台本至上主義で作られているという。撮影に入る前に作った台本に合わせた内容になるように撮影し編集し放送しているのがほとんどだという。
 背景には、テレビ番組は時間が放送までの時間が切迫しているので、現場に合わせて台本を書き直していたら放送に穴をあけてしまうこと。「こんな話にします」とスポンサーや放送局上層部に了解をもらえないとお金のかかる取材に入れないこと。スポンサーに事前に説明した内容と食い違った番組を作るプロデューサーがいるとしたら、スポンサーの担当者にとっては会社の上層部に説明しにくい番組を作ったことになるので、もう二度と仕事の依頼が来なくなることなどを挙げている。
 この台本至上主義を反知性主義と断じ、テレビ番組だけでなく、世間のあらゆる場に蔓延していると、想田は説く。
 さらに、一つの仕事をなすにあたって、既存の台本を否定し、虚心坦懐にものごとを見つめていたとしても、その仕事の過程で発見したセオリーが新たな台本になってしまい、次の機会に虚心坦懐になるのを阻害することへの警戒を、想田は書く。
 なるほどと思った。テレビ番組は、ヤラセすれすれなのである。街頭インタビューというのは、放送局が流したい内容に沿った発言を拾い上げているのではないかと思われる。新聞の投書欄もそうなのではあるまいか。行政に都合のよい意見をもっている専門家を集めて有識者会議にし、そこで台本通りに結論を出してもらって、お墨付きにすることが、世間にあふれている。これは、台本を書いた人、決断した人の責任をあいまいにする方法でもある。こういのも反知性主義なのか。なるほど。
 さらに、生命科学者で大阪大学教授の仲野徹の文章に、心ひかれた。かつては、細胞培養の溶液づくりなどの下準備を自ら行い、自分で洗ったガラス製の試験管を使って実験していた。そこで勘を鍛えていたという。ところが昨今は、キットを買ってきて使い捨ての試験管を使うようになった。昔は、大きな魚がいそうな場所に小舟をこぎ出しピンポイントで釣り糸をたらしてアタリを待つ一本釣りのようなものだった。したがって目利きの能力が一番大切だった。今は、魚群探知機でおおよその見当をつけてから、大きな漁船で底引き網を使って根こそぎ獲ってしまうトロール漁業のようになってしまったという。国立大学の運営がより競争的になり、世界ランキング、研究費獲得、論文数、外国留学生・教員比率という数値化できるものにばかり重きが置かれるようになってきているそうである。
 この文章を読みながら、「ありみね高校生学びの森」のことを思い出していた。県内の生物好きな高校生が、生物の先生の指導を受けて、5日間、有峰で動植物の野外研究をする活動である。植物班が、山で木の太さや高さを測定してきて、有峰ハウス別館で数値をパソコンに入力して、グラフ化して森の機能を学ぶという研究をしていたとき、パソコンよりも、グラフ用紙に鉛筆で描いたほうがいいのではないかと先生方に、お話したことがある。
 初夏と秋に1日ずつ、夏に2泊3日の「ありみね高校生学びの森」の中で最大の教育効果を出そうと先生方は知恵を絞っておられる。難しい判断を先生方はしておられることは間違えない。世間が反知性主義に流れる中にあって、せめて、有峰において、知性主義の理想を今年も高く掲げてほしい。そのことが、科学研究の分野のみならず、社会のあらゆる分野で、虚心坦懐に観察し、台本あわせではない創造をする人を増やすことにつながると信じている。

〜「住みたい富山」は座れる電車から〜

 北陸新幹線の開業と同時に、あいの風とやま鉄道が走り始めた。混んでいる。以前のJR時代、福岡から富山まで通勤する私は、いつも座っていた。本を読んだり寝たりできる快適な40分だった。それが、今は座れない。ぎゅうぎゅうである。原因は単純で、これまで旧型車両6両編成だったのに、新型車両4両編成になったからである。福岡よりさらに金沢寄りの石動からですらぎゅうぎゅうで、石動の人もめったに座れない。「あいの風鉄道で座っているのは石川県から乗った人だけだ」、とぼやいている。魚津方面から富山に通勤する人も同じように、ぎゅうぎゅうになったことに苦痛を表明している。城端線も車両が減ったそうである。
 私は、富山地方鉄道が大好きである。有峰に行くとき、がらがらの電車が走るのを見ると胸が痛む。経営が大丈夫かと。朝、富山駅に降りて職場に向かうとき、大学前行の路面電車が走り抜けていく。いつも満員である。この電車を見るたび、「おお、よしよし」と思っていた。富山が誇る、鉄道網の経営安泰を喜んでいた。
 昨日まで、あいの風鉄道のぎゅうぎゅうを嘆いていた私は、大事なことに気が付いた。満員の路面電車を見て、経営が安泰と喜んでいたのと同じ感覚で、あいの風鉄道に乗らない人は見ているに違いないということを。そもそも、あいの風鉄道の経営者はぎゅうぎゅうを喜んでいるかも、知れないのである。人間とはそういうものだ。
 地球環境を守る上で、鉄道が優れていることはいうまでもない。マイカー通勤の混雑を解消するために道路建設をしていたらキリがない。しかも、その建設費は巨額で、車両購入費とはケタが違う。家の近くの駅まで車で行き、駐車場に停めて、電車で勤務先に向かう。このことをパークアンドライドというが、パークアンドライドを推進しなければならない。パークアンドライドを進めないと、通勤先の富山市も困るし、高校生の通学の足も危うくなる。私たちは、朝、40分に一本しか来ない電車にのっているのである。10分もしないうちに電車が来る都会とは違うのである。
 ぎゅうぎゅうは朝だけではない。夜もぎゅうぎゅうである。夜に富山駅で乗れない人がいるのを私は目撃した。忘年会シーズンはどうなるのであろうか。オーバードホールで大きなコンサートがあって、終わったあと、あの満員の電車に乗れと言われたら、感動も飛んでしまうのではないだろうか。新幹線で来た人が、ぎゅうぎゅう詰めの電車を見たら、県内観光に回るだろうか。そして、住みたいと思うだろうか。「住みたい富山」を標榜するならば、座って電車に乗れる田舎に戻してほしい。

〜わが身に置きかえる〜

 ある人と話していた。徴兵拒否についてである。「国が戦争になったら、徴兵忌避など、ありえないのではないか」というのが、その人の意見である。
 ところが、日本では、先の戦争で何千人単位の徴兵忌避があったのである。もちろん、憲兵や警察は、血眼になってさがした。しかし、見つからない人が大勢いたのだ。昔は、市町村役場の兵事係が、戸籍のある人を全部把握していた。村を離れて引っ越した人もどこに住み、自動車免許をもっているか、どんな仕事についているかまで。その台帳をもとに軍からの徴兵要請に応えていたのだ。ストレスのたまる大変な仕事である。
 今日、引越しは頻繁であり、外国に行く人も多い。市町村役場の把握もれは、たくさんある。徴兵制になれば、医学部、工学部、薬学部、農学部など、徴兵延期される学科へ逃げ込む人も多いだろう。徴兵制の導入のための仕組みが、全くできていない。
 そうはいうものの、そのとき、自分がその場に立たされたらどうするかを考えることは大切だと思う。自分自身が兵隊に行くかどうかだけではない。自分の子供が、兵隊に行くのをいやがったとしたらどうするか。自分の子供の恋人が逃げたいと思っていたとしたらどうするか。あなたが先生だったとして、教え子がかくまってくれと言ってきたらどうするか。
 三國連太郎は、徴兵忌避で逃げていた。ところが、母親の密告により、捕まってしまった。また、丸谷才一に「笹まくら」という小説がある。主人公は、友達と二人で別々に逃げることになっていたが、友達は思いとどまり、一人で日本全国を逃げ回り宇和島で8月15日を迎えた。戦後の話として、高岡も出てくる。
 近世というものが、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」から始まったとすれば、近代・現代における個人と国家の関係は、徴兵制によって、最大の衝突を迎える。個人の思想に反して、全体の意向に従って、人殺しに行くかである。そのような「わが身に置きかえる」ことなしに話す人は、要注意である。
 いかなる国土防衛策も、戦争絶滅受合法案に勝るものはないと、私は考えている。戦争が始まったら、10時間以内に、男性元首、男性首相、開戦に反対しなかった男性の国会議員及び高位聖職者を最下級の兵士として最前線に立たせるべきというものである。インターネットで調べてみると面白い。

~言っていることと、やっていることの矛盾~

 公務員は、採用されたとき、「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」と宣誓しなければなりません。
 これは、憲法第99条、
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」
から来るものです。官僚であろうと、警察官であろうと、教員であろうと、県会議員であろうと、公務員なので一緒です。
 私は、1979年1月16日に富山県職員になりました。中途採用なので、人事課長の机の前で宣誓をしました。このことは、今も私の頭を支配している誓いです。
 一方、憲法学者の大多数が違憲と言っている安全保障関連法案に対して、7月15日、安倍晋三首相は、国民の理解が深まっていないと明言しました。そして、その日に自民、公明の与党は、法案を衆議院の特別委員会で単独で採決を強行し、可決させました。安倍首相や与党は、99条を守っていないと、私は思います。霞が関の官僚で、やりきれない思いでおられる方も多数おられると思います。
 国公立の学校の教員は、児童生徒から、「安倍首相の今回の行動は、憲法99条に照らしてどう思うか」と問われたらどう答えるのでしょうか。
 自民党の「日本国憲法改正草案」にも、憲法尊重擁護義務の条項があります。
102条(憲法尊重擁護義務)
1項
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2項
国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員はこの憲法を擁護する義務を負う。
 これを読んで、始終、現行99条が頭から離れない私は思うのです。今の憲法において憲法擁護義務を守っていない公務員が、次の憲法で擁護義務を果たすだろうかと。そして平然と、議場や学校や職員訓示で、「新しい憲法が決まりました。しっかり学び守りましょう」と演説するのではないかと。
 言っていることと、やっていることが矛盾するのは、人間の業ともいうべき悲しいことです。しかし、職業においてそれを犯す人を、私は全く信用しません。

~所詮は、小説~

 司馬遼太郎は、歴史小説を書くとき、神田の古本屋からごっそり本を買い込んだという。そのことから、「彼の小説の中には、公平な歴史観が流れている、偏った見方がそこにはない」と、読者は思いがちである。私自身がそうであった。所詮、小説であると気づいたのは、ここ5年である。
 坂の上の雲という作品がある。明治を、秋山好古、秋山真之、正岡子規を通じて語ったものである。たくさんの人が登場する。しかし、足尾鉱毒事件の田中正造が出てこない。明治を考える時、日清日露の戦争と、足尾鉱毒事件とを並べないとだめだと、私は考えている。

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 司馬遼太郎の作品の魅力は、「余談ながら」にある。陸奥宗光という人がいる。坂本龍馬が作った海援隊に属し、日清戦争の頃は外務大臣だった。その陸奥宗光は、次男を、足尾鉱毒事件の加害企業、古河鉱業の経営者、古河市兵衛の養子にしている。坂の上の雲であろうと竜馬がゆくであろうと、陸奥宗光は重要な人物であり、「余談ながら」で、足尾鉱毒事件や田中正造に言及すれば、二つの作品はより深みのあるものになったに違いない。しかし、一言もそんな話は載っていない。

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 世に棲む日々という作品がある。江戸末期の、吉田松陰、高杉晋作を主人公にした作品である。吉田松陰は、朝鮮・満州・台湾・フィリピン・カムチャッカを手に入れることを主張した。しかしこのことは、作品の中では触れられていない。

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 所詮、小説(ものがたり)なのである。そう思えばいいのであるが、ついつい全うな歴史書と思って読んでしまう。さらには、大河ドラマとなって、国民の中に定着されてしまう。吉田松陰を尊敬しますという人がいたとしよう。その人は、明治以降の対外侵略も肯定しているのではないだろうか。そんな覚めた読み方をしないと、司馬遼太郎自身が困惑するであろう。

~崖からの転落~

 私は、有峰勤務時代、2回処分を受けている。有峰ハウス別館の前の坂に、公用車を止めたのはいいけれど、サイドブレーキを引かず、ニュートラルにして、車から離れたために、ゆるゆると坂を下り始め、崖から車が落ちて行ったのが1回目。坂を歩いている人がいたら、あるいは崖下に、キノコ採りをしている人がおられたら、死亡事故になっていたことは間違いない。1年後、大山消防署の駐車場で公用車をバックして、軽四にぶつけたのが2回目(8月10日)。こんな幸運が他にあるだろうかと思うことに、いずれも、けが人はいない。2回目は、公用車を運転していたこと、管理職だったこと、2度目だったこともあり、県の総務部長から、きつく叱られた。平成18年11月30日付の書面訓告を、引き出しに大事にしまっている。死亡事故になったかも知れない紙一重の幸運に手を合わせつつ、ものすごく凹んだ。故意はなかったが、重過失だった。そもそも、公務員は、法令を守らないと処分されるという恐怖心の中で生きており、それがなくなれば、国家は瓦解していく。
 昭和20年8月14日、「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した。政府は、天皇制の護持を最優先と考えていたので、そのためには、都合の悪い証拠をなくすべきと考えたのである。犯罪者は証拠を隠したがる。やったことが正しいと思っていたのであれば、隠すわけがない。仮に、正当防衛だったと抗弁しようにも、書類を燃やした組織に、そんな権利はあるのだろうか。
 一方、正力松太郎の言葉にこんなのがある。
「絶対にウソをつくな。もし都合の悪いことがあったら言わなければいい。それにはウソをついたことにならん」(佐野真一著:巨怪伝546ページ)

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 正力流のものの考え方は、文明社会のそれではない。
 9月28日の毎日新聞1面に、こんな記事がある。
 政府が昨年7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認に必要な憲法9条の解釈変更について、内閣法制局が内部での検討過程を公文書として残していないことが分かった。法制局によると、同6月30日に閣議決定案文の審査を依頼され、翌日「意見なし」と回答した。意思決定過程の記録を行政機関に義務づける公文書管理法の趣旨に反するとの指摘が専門家から出ている。
 公文書管理法を調べてみると、
第四条  行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。 
一  法令の制定又は改廃及びその経緯 
二  前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯
 この閣議決定を、憲法に照らして是とする人たちはいる。しかし、その人たちでも、内閣法制局が検討過程を公文書として残していないことを、それでよいと考える人は、ほとんどいないのではないか。記録を残すべし。このことを、公務員は就職以来、叩き込まれている。その鉄則を、内閣法制局が犯している。将に正力流である。故意がなければできないことである。上司の命令がなければできないことである。ならば、それなりの処分があるのが筋ではないか。責任者を処分すべきと訴訟が起こされたとき、どうなるのだろうか。
 私の処分の書類は、いまだに人事課に残っているに違いない。おそるおそる、「私の処分、何年たったらチャラになるんですか」と、人事担当者に聞いたら、「永久になりません」と言われた。そんな私は、閣議決定の書類が残っていないという新聞記事を読んで、昭和20年8月、文書を焼くために市ヶ谷(陸軍省、参謀本部)、霞ヶ関(海軍省、軍令部)に立ち上っていた煙を想像している。
 絶望を深くすることには、あの毎日新聞の記事を、他社が追わなかった。ニュートラル(中立)を装い、サイドブレーキを外して、崖を落ちていくような気がする。

~棚田とTPPと「しかたないがいちゃ」~

 安倍首相は、『新しい国へ 美しい国へ 完全版』の中で、次のように書いています。
 日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、「瑞穂の国」であります。
 自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
 私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。
 安倍家のルーツは長門市、かつての油谷町です。そこには棚田があります。日本海に面していて、水を張っているときは、ひとつひとつの棚田に月が映り、遠くの漁火が映り、それは息をのむほど美しい。
 棚田は労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかしこの美しい棚田があってこそ、私の故郷なのです。そして、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います。
 市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済の有り方を考えていきたいと思います。(引用ここまで)
 なるほどと思います。「DNAに組み込まれている」なんて、随分情緒的な表現ですが、言わんとすることはわかります。しかし、このことと、TPP推進の関係がわかりません。
 私のところは、庄川扇状地の扇央に位置します(扇状地の頂点が扇頂、末端が扇端、中央部が扇央)。工場や住宅が混在しています。中山間地でもありませんし、棚田もありません。終戦直後に生まれた人たちが、会社を定年になり、営農組合を組織し、大活躍しています。土地の所有権が調整されて、大きな田んぼになっています。農業機械は、営農組合が買った最新鋭機です。持ち寄りは、田んぼトラックだけ。農業機械を運転するのは、30歳から60歳くらいまでの青壮年。しかし、育苗ハウスの設営など、年寄でもできる作業がたくさんあるので、若い人から年寄りまで、多くの人が出てくる集落営農です。扇央にあるので、田んぼにはたくさんの石(こぶしぐらいの大きさ)があります。春先には、奥さん方も出てきて、みんなで拾い、肥料の袋につめて、よっこらしょと、あぜ道まで運びます。半日やると、とても腰が痛くなります。自分が所有する土地と田んぼの形状は関係がないので、「自分の土地の石を人に拾ってもらっている、他人の土地の石を拾ってあげている」という感覚はありません。「われらの田んぼの石を拾っている」という感覚です。しかし、こうやって石を拾っても、トラクターで耕すと、下からまた石がどんどこと出てきて、毎年、拾わないとだめなところです。所有する農地面積と、作業に出た日数が計算されて、収益が分配されます。とはいえ、全部で、50ヘクタールありません。石拾いのことを考えただけでも、こんな地区が、TPPに耐えられるのでしょうか。
 私の地区は特異です。30年近く前に、地区で協定を結び、分家以外の宅地開発を禁じたので、よその人が入ってこなくなったのです。周りの地区において、団地ができて、よその人と元からの人が混住化し苦労しているのと対照的です。閉鎖的といえば閉鎖的です。もともとは祭りがなかったのですが、みこし祭りを始めました。それくらい、まとまりがあります。地区で不幸があると、ほぼ全戸から1人、マイクロバスで、式場に行きますが、バスの中で「ここに住んでてよかった」と口々に言います。「母は、ここに嫁に来て幸せだといつも言っていました」という喪主挨拶を、私は何度も聞きました。
 だから、この地区は、TPPへの適応力を、周囲の地区より持っているとは思います。しかし、その適応力をはるかに超える力をTPPはもっているのではないかと心配です。
 100の地区があったとします。仮に、70がうまく乗り切ったとします。けど30は地区の農業が崩壊するかも知れません。それが地域間競争というもの。30の地区に対して、お金で補償すればいいというものではありますまい。そももそ、彼らが、何の悪いことをしたというのでしょう。また、公共事業で支えられるものではありません。即ち、それは、国土の荒廃ではありますまいか。国境問題にとても注意を払っている積極的平和主義者の安倍首相の考えと矛盾しないという説明を聞きたいです。
 農林水産省が昨年6月に作った「攻めの農林水産業」の実現に向けた新たな政策の概要〔第2版〕が公開されています。
 26ページには、林業の成⻑産業化ということが書いてあります。このページに書いてあることが、積雪が多く、山が険しく、木の根元が曲がる富山県で実現するでしょうか。それ以上に、森林は、農地以上に、安定的な生態系を前提とする営みです。そこで成長産業化を狙うということは、土壌の収奪に繋がりませんか。森林生態系に対する見方が根本的に誤っていませんか。林業は戦後早々と自由化がすすめられ、外材がどんどん輸入されました。今後は、中山間地の集落の農業がTPPによって崩壊し、中山間地に住めなくなり、それが引き金になって、里山の林業が崩壊し、国土保全上問題が生まれるということを私は心配します。県の林業職員にそのへんの意見を聞きたいところです。「しかたないがいちゃ」では済まされない。
 環境原理主義者の私は、地産地消こそが、平和な地球を築く基本だと思います。

~ネットワークを活かさない駅の表示~

 石川県に対する劣等感が、富山県の底流にある。ならば、石川県より勝っているものの優位性を拡大することが、大切。富山県は、石川県より鉄道のネットワークが発達している。ところが、そのネットワークを活かす表示がない。
 富山駅で見渡して、あいの風とやま鉄道の電車に乗って、目的の駅に何時に着くのかを知ることは不可能である。高山線も一緒である。ましてや、城端に行きたいと思ったとして、高岡でどれだけ待てばいいのかさっぱりわからない。その点、富山地方鉄道はましである。地鉄電車の時刻表が電鉄富山駅に張ってある。縦軸に全部の駅が並べてあって、横軸に全部の電車が並んでいて、数字がびしっと並んでいる時刻表である。例えば、岩峅寺(いわくらじ)に行きたい時である。岩峅寺は、電鉄富山から東に向かう立山線でも、南に向かう上滝線でも行ける。距離は違うのに、料金は同じに設定してある。風景は立山線が勝るかな。だから着くのは遅くなるけど立山線で行こうかな。そんなことを思案しながら、電鉄富山駅の時刻表を見るのは楽しい。
 高岡市の福岡駅は、あいの風とやま鉄道の駅である。コンコースには、福岡駅の上り下りの発車時刻表が掲示されているだけである。小杉に何時に着くか、水橋に何時に着くか、氷見に行くためには高岡で何分待てばよいか、さっぱりわからない。ところが、福岡駅には、待合室がある。そこに高岡周辺の時刻表が張ってある。これは、電鉄富山駅のびっしり型時刻表ではなく、相撲番付表のような時刻表である。これを見れば、上に述べたことはわかる。しかし、この相撲番付型時刻表でも、越中八尾に行くには、富山でどれだけ待たなくてはならないか、さっぱりわからない。それでも、福岡はましである。
 県都富山駅には、そんな相撲番付表型時刻表もないのである。北陸新幹線だけのびっしり型時刻表は、切符売り場のところに掲示されている。しかし、あいの風や、高山・城端・氷見、富山地鉄のことはほとんどわからない。観光、指名手配、防火運動、映画、不正乗車禁止のポスターが張ってあって、移動の基本となる相撲番付表型時刻表がなくてもよい理由が私にはわからない。美人がそろっている案内カウンターに聞きなさいということなのか。スマホで調べなさいということなのか。
 富山県、電車が頻繁に走っているわけではない。駅の待合室で時間待ちすることはしばしばある。その時、びっしり型時刻表を見るのは時間つぶしに絶好である。県内全駅に、あいの風、城端・氷見・高山線、富山地方鉄道、ライトレール、万葉線のびっしり型時刻表を張り出してほしい。それが連携というものだ。それを、英語でネットワークというのだ。「富山で休もう」といったポスターばかりではつまらない。これらのポスターを作る経費とは比較にならないではないか。
 私は、タモリ倶楽部というテレビ番組が好きである。テレビではなくて、You Tubeで見ている。この番組の大きなジャンルの一つは、鉄道ものである。タモリはじめ、筋金入りの鉄道オタクが、鉄道ネタを喜んでいる。西武・小田急・京急・JRの貸切電車、東急の線路点検車に乗せてもらったり、時刻表がどうやって作られているかを聞いたり、鉄道模型を楽しんだり、部屋から見える鉄道の風景の優れたホテルをランキング化したりしている。北陸新幹線開業前の放送では、富山県の魅力的なスポットとして、城端線二塚駅において、製紙工場との引き込み線で活躍しているディーゼル機関車の話が出るなど、超マニアック番組である。彼らは、電車を一目見ただけで、21000系とかいう型番を言い放つ。こうしたマニアックなタレントと、普通のタレントがじゃれあうところが面白い。ところが、富山県地元の放送局は、鉄道に鈍感である。新幹線で便利になったとか、名産物を口にして、「甘い! とろける!」といった話ばかりである。お下品。人口が少ないから初心者ご案内型の情報しか出してはいけないと思っているのか、製作者が車にばかり乗っていて、電車に興味がないからか。タモリ倶楽部を見習ってほしい。
 五年も前のことだろうか。私は、JR福岡駅のホームにいた。たまたま、知り合いのおじさんが横にいた。彼は、とある会社の会長で、世界を飛び回っている人である。そのとき、サンダーバードが猛スピードで通過していった。会長は、「ああ、汽車大好き」と口にされた。そのおじさんが鉄道好きだったとは夢にも思わなかった。このような告白を聞くのはいいものである。子供時代、とりわけ男の子は、汽車電車が好きだったのだから、県内の潜在的な鉄道ファンの眠りを覚まさせることはそれほど難しくない。ましてや、最近は、鉄子(女性の鉄道ファン)も増えている。こうした鉄道人気の勃興のきざしの第一の証拠として、タモリ倶楽部の高い人気を挙げることができる。
 びっしり型時刻表だけでなく、さらには、方眼紙に斜めに電車運行の筋が引かれたダイヤグラムを駅に表示したら、県内の潜在的な鉄道ファンは目を覚ますのではないか。「定期券で不正乗車するとたくさんお金を取りますよ」とか、「あいの風鉄道の快速に乗るときは、別途料金が要りますよ」といった警告系のポスターはもっと控えめでよい。このままでは、セコさだけが残る。石川県に対する優位さを活かすことを是非考えてほしい。
 今冬は、雪が少ない。有峰は大丈夫だろうかと心配だ。富山県も心配だが、関東・四国は水不足になるのではないか。梅雨の大雨がないと大変なことになる。在来線があったのに、電気をどんと食う新幹線を作ったことに、環境原理主義者の私は懐疑的である。足るを知ることを忘れた文明の末路は明らかである。石油をどんと食う、飛行機が飛び交うことがいいことだとは思っていない。できるだけ移動のために化石燃料を使わない船、鉄道が望ましい。そんなことからも、素晴らしい鉄道ネットワークの利用促進が望まれる。

~「勉強は家でやろう」は情けない~

 社会評論家の大宅壮一が、1957年、テレビを酷評して生み出した流行語。それが、一億総白痴化である。
 今日、スマホの勢いは大変なものである。電車で半分ぐらいの人が、スマホを指先で、すりすりしている。本・新聞・雑誌を読んでいる人はずっと少ない。高校では、校舎内で使用禁止とされている学校が一般的なようである。きっと、家で勉強しながら、スマホしている高校生も多いのではなかろうか。学内で使用禁止などということはできない大学はもっとひどい状態であろうと想像する。部活などの連絡に不可欠な道具であるらしい。私は、持たないし持ちたくもない。
 スマホが、日本全体の学力を落としつつあると思う。10年前の高校生より、今の高校生の学力は落ちているのではないか。出版業界の苦境は大変なものだろう。スマホが世間の進歩につながっているとは到底思えない。退歩を促している。どうして、大宅壮一が警告を発したように、困ったことだという意見がマスコミに出ないのか。その弊害は、テレビを超えるのではないか。学力向上問題は、スマホ問題抜きにありえない。
 あいの風とやま鉄道の福岡駅に、売店があった。その売店が撤退し、代わりに勉強コーナーができた。カルチャールームという名前がついている。そこには、向かい合わせで4人座れる四角いテーブルが10個置いてある。いつ見ても、高校生が勉強している。地元の福岡高校の生徒か、電車に乗って高岡や石動の高校に通う生徒が利用している。大変よろしいことである。一方、富山駅のコンコースの二階には、丸いテーブルを4つの椅子で囲んだセットが8個置いてある。ところが、そのテーブルの上には、「勉強は家でやろう。ゴミは持ち帰ろう」と書いたカードが置いてある。
 勉強は、細切れの時間も有効だと思う。新幹線が走る前、電車はすいていた。福岡から富山に向かう朝の電車では必ず座れた。今だと、6時30分の電車の時なら座れるが、7時台の2本では、絶対に座れない。明らかに、通勤通学環境が劣化している。運賃が高くなっただけでない。せめて、駅で勉強させたっていいじゃないか。ましていわんや、スマホの普及で、本を読まなくなってきているというのに。
 富山駅周辺の本屋は、マリエの5階と、オーバードホール2階にある。前は、駅のすぐそばの特選館に本屋があった。その前は、2階のステーションデパートの中にあった。新幹線で東京に帰るビジネスマンは、もの足りない気がするにちがいない。スマホに代表される情報機器が発達し、活字文化が衰退し、本屋が家賃に見合う売上を見込めないからこうなるのだろう。そこへもってきて、「勉強は家でやろう」のテーブルである。富山県が教育県だとかいう看板が泣いているのではないか。

~自筆のハガキを出そう~

 世界4月号に、作家で元外務省主任分析官の佐藤優さんが面白いことを書いていた。それは対談で、ホストの山口二郎法政大学教授とのやりとりの中にあった。
山口 もう少し正攻法で、官僚支配にどう抗していくか。考えられませんか(笑)。
佐藤 具体的にいいのは手紙を書くこと。ハガキでもいいです。それで安倍首相なり菅官房長官なりに直筆で、定型文ではないメッセージを送る。官僚はそれに必ず目を通します。それでどういう内容の批判がどれくらい来たかを報告する。「今月はひどいです。980通も総理辞めろという手紙が来ています。全部直筆です」となると、これ、ちょっとやばかったんじゃないかなあとなる。
山口 ネットではだめですか。
佐藤 ネットだと、コピペでものをいっているんだろうと。あるいはハガキでも組織的な印刷なら脅威ではない。直筆の手紙で、しかも心をこめて自分の言葉で、そうするとその背景に氷山があると皆思います。だからデモとか手紙とか個人でできること、手づくりの形での批判が効く。一人ひとりが手書きで何か送ってくるものが集積する。私も官僚をやっていたから想像できますが、それは怖いです。(65ページ)
 昨年、7月4日の北日本新聞の記事が、私の頭から離れない。富山県内の知事・市町村長に安保法案に賛成ですか反対ですかと聞いた結果が報じられている。前提として、その1カ月前の衆議院憲法審査会において、各党の推薦する3人の憲法学者が、安保法案を「憲法違反」だと明言していたことを思い出してほしい。
 石井知事は、
「国政の重要なテーマであり、知事としてのコメントは差し控えたい」
夏野砺波市長は、
「市長の業務と直接的な関連が直ちにあると言えない。個人としての意見はあるが、市長の職にあり意見の公表は控えたい」。
 仮に、憲法が改正されたとしよう。その折には、政府は、「改正箇所を中心に、国民を挙げて、学びましょう」と言うに相違ない。すると、きっと、県内の自治体でも研修会やシンポジウムを開くのではないか。ところが、現在は、「日本国憲法を守りましょう・学びましょう」という活動は、一切していないのである。「前の憲法の時は、だんまりを決め込んでいて、ぺらっと変わるんですか」という批判に耐えられるのであろうか。
 何より、憲法99条がある。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 この公務員の中に、自治体の首長・議員・一般職公務員・国公立の学校の教員が含まれることはいうまでもない。党として、憲法を改正しようというのは、わかる。しかし、大臣が99条違反をして許される理由が私にはわからない。裁判官が、99条違反をしたら、おしまいである。地方自治体の首長が、99条を無視していいのかは微妙であろう。しかし、その大臣の部下、首長の部下である職員は、上司がなんと言おうと、憲法99条には忠実でなければならない。憲法が気に食わないのなら、辞職していただかなければならない。税金で雇っているからである。「市長の業務と直接的な関連が直ちにあると言えない」と答えた夏野市長は、間違えておられまいか。「地方自治は民主主義の学校」 なのだ。
 ハガキですよ、ハガキ。印刷されたものは、そのままゴミ箱に。電子メールも、即、ゴミ箱に。電話をかけるとストーカー呼ばわりされる。面会などしてくれるわけがない。けど、ハガキなら、ひょっとしたら本人も読まれるかも知れない。首相、大臣、国会議員、知事、市町村長は、日に何百通もの郵便が届くであろう。直筆のものは、何パーセントあるだろうか。優秀な秘書がついているから、彼らの忠実さのおかげで、出した人間の思いは、きっと相手に届くに違いない。なぜなら、その相手は、選挙民の意向にとても敏感なのである。さらに、効果的な人がいる。地方議員、新聞社の人とか、放送局の人とか、大学の先生とか。新聞に載らなくても、放送で読んでもらわなくても、彼らには、どすんと効く。もちろん、匿名では出さない。ちゃんと、住所氏名を明らかにして出す。52円の効果は絶大である。

ところで、有峰とは?

さて、
  • 有峰林道(ありみねりんどう)
  • 有峰森林文化村(ありみねしんりんぶんかむら)
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って知っていますか?

富山県の南東部にある、有峰湖はどうですか?
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こんな湖があるところです。

知らないとは言わせませんよ。
日本地図にも載っています。
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ほらね。
  • 黒部ダムよりも湖の体積は大きく富山県1の大きさを誇るダム湖
  • 富山市民の水道の水源
  • 北陸電力最大の水力発電所
なんていう結構すごい湖です。

そう、そんな有峰湖へ通じる大規模林道とその周囲に広がる公園が有峰です。

歴史は古く、大正8年、水害に悩まされていた富山県が、「災い転じて福と為す」ために始めた常願寺川の開発事業の一つで、紆余曲折があり最終的には戦後北陸電力が世界銀行からお金を借りてまで作り上げた、有峰ダム
今でも富山県が北陸電力の大株主なのはそういった関係があるからだとかいう話もあったり、この有峰の運営も富山県と北陸電力がお金を出し合って運営しているという、興味深い土地です。

毎年6月1日から11月12日までの間、
  • 普通車1900円
  • バイクは300円
  • 自転車ならば無料
で林道内に入れます。

普通に行っても楽しめますが、お得なイベントも開催されていますので、そういうときに行くのもいいですね。



有峰ハウスの宿泊予約はこちらからがお得です♪
有峰林道の公式情報は

通行止等の情報は
http://www.arimine.net/toll_road.html

フェイスブックページもあるみたいですよ。
https://www.facebook.com/ariminet/

有峰について学びたい方はこちらの書籍も読んでみては?

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上の写真は猪根山遊歩道のカラマツ

有峰から登れる山は?

有峰の折立と言うところは、黒部川源流の山々への最短ルートの登山口となっています。
その中には日本百名山の薬師岳なども含まれていますよ。

ぜひ来てみてくださいね。

雲ノ平・双六・黒部五郎―笠・水晶・薬師・槍 (ヤマケイYAMAPシリーズ)

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毎日アルペン号
というバスが、東京から折立まで、夏時期は毎日走ってますよ。
使ってみてくださいね。

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幼稚園の頃から夢は「のんびり暮らしたい。」
仙人のような暮らしを夢見て、日々、遊んでいます。
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